町田樹は打ち上げ花火のようだった
プロスケーター、町田樹との別れは突然だった。
いや、私達ファンが突然だと思いたかっただけかもしれない。
この選曲が発表されたとき、もうすでに私達はどこかで彼の「引退」と向き合わされていたのである。
彼はその曲で「極北」を体現し、その後競技会に姿を見せることはなくなった。
現代バレエの最高傑作という選曲に、あの時と同じ不安を感じずにはいられなかった。
しかしどこかで、向き合わねばならないという事実と対峙する恐怖から、その予感からずっと逃げてきた。
彼はその予感と対峙する機会をもう一度くれた。
「これが最後のドキュメンタリー」と称される番組が、テレビ東京で放送された。
この発言で、予感が徐々に現実になっていくような気がした。
しかしながら、「新作のアイデアはたくさんある」という彼の言葉に甘え、再びその事実から逃げてきたのは私だったのだ。
そうして2018年6月15日、彼は"突然の”プロスケーター引退を発表。
「プロスケーターを引退する」ということは町田樹を氷上で見る機会を、永遠に失うということに近い。
理由は「学業に専念するため」である。なんと彼らしい言葉であろうか。
町田樹の嫌いなところだったらたくさん言える、
「こだわりが多すぎる、舌足らず、アイスショーのバックステージで寝る、プログラムがいつ終わるか教えてくれない、プレゼント受け取ってくれない、シャッターチャンスをくれない、意味がわからない言葉を使う、毛量が多い、勝手に引退する」
だけど、こんなにも嫌いなのにそのどれもが愛おしかった。
「町田樹は打ち上げ花火のようだった」
4年前、どこかで目にしたつぶやきである。
一気にパーンと華やかに打ち上がったと思ったら、その輝きをすこしだけ残しながら、すぐに暗闇へ消えてしまう。
こんどもでっかいのを打ち上げたな、と笑ってしまう自分がいた。
28歳という年齢で、あんなプログラムを演じること自体もう長くは続かないことくらいわかっていた。ドキュメンタリーで、再びわからされた。
美しいままに、自分の構想についていける体力を失ったのなら、もしくは、自分の求める最高の作品を作り上げたのなら、引退する。それが彼の美学であり、彼の選んだ道だったのだろうか。
彼は、現役時代ティムシェルという言葉を大切にしていた。
「ティムシェル」は「してよい」という意味で、これは人間に選択を与える言葉です。ーエデンの東3より
彼には多くの選択が与えられていた。
道は開かれていて、すべては彼しだい。
プロスケーターになっても、会社員になっても、コーチになっても研究者になっても留学してもいいし、そのどれもしなくてもよい。
しかし、町田樹は自分の進むべき道を選び、そこを戦い抜いた。
エデンの東のリーの言葉を借りれば、人間を人間たらしめる「選択」という人間最高の栄光を存分に使い、自らの道を切り開いていったのだ。
彼はずっと人間臭かった。
その人間臭さを持って、ひたすらに努力を積み重ね、大きく振る舞っていた。
こんな言葉を残してまでいた。
しかし、今の町田樹には、フィギュアスケートという表現方法で自分の帰属意識を確認すること自体必要なくなったのかもしれない。
彼のいるべきこれからの世界を自分の力で、何年もかけて開拓したのだ。
研究者町田樹の打ち上げ花火は、どんなにきれいだろう。
いや、それは打ち上げ花火ではなく、永遠の星の輝きかもしれない。
私達はその輝きをひっそりと観測し、その光がこの先、彼のいた場所に再び降り注ぐことを夢見ている。